新田原基地で撮影した飛行機の写真を日替わりでアップしています。
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インターネット航空雑誌「ヒコーキ雲」 を監修していらしゃる このパンフレットを眺めていて、熊本県南部を横断する球磨(くま)川は、実にユニークな人材を育んでいるのだなあという印象を受けます。その史資料をこつこつと集めて宝古蔵をつくった個人の方もユニークな人材の仲間に入れてあげましょう。 日野熊蔵大尉は徳川大尉の影に隠れがちですが、公式記録は別としてエンジン機での日本初飛行は紛れもない事実ですし、銃の設計(宝古蔵に設計図あり)で明治天皇にご進講するなど多彩な才能の持ち主でした。 6歳年下の徳川大尉よりも出世が遅れ気味であったのは、幕末のお家騒動で祖父一家が惨殺されるという不幸な家筋に生まれたためとも言われますが、徳川大尉だって、祖父が御茶屋の妾を殺して爵位を剥奪され、その挽回を図るために飛行機に没頭したとも言われていますから、似たようなもんです。 人吉(相良)藩の丑歳騒動というのは地元では有名なのかどうかは知りません。しかし、断絶寸前の日野家にとり婿とり嫁で跡目を継いだ親から厳しい教育を受けて徳富蘇峰の熊本英学校へ入り、火器の研究に興味を持って陸士へ進学します。そこに飛行機研究の芽生えがあるわけです。騒動がなければ日野家の嫡男としては生まれてもいなかったのです。 私は、日野熊蔵の人物像はもっともっと解明されるべきと思っています。宝古蔵館長さんのようなユニークな方に期待しております。ボランティアで手伝っているまささん、いい情報をありがとうございました。 球磨焼酎と急流(今は緩流)球磨川下りを楽しみがてら訪問してみたいです。
グラーデ機 模型
日野式拳銃 見取り図
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(カウンター設置 2001.9.7 )
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