支援機
当時 新田原基地に 支援機が飛来すると 「おっ!お宝機が来た!!。」 と
終日追いかけました。
その支援機の一つが カラフルな MU-2Jであり また B65 でした。
以下 wikipedia から 引用しました。
MU-2J
MU-2は、日本の三菱重工業が製造した多目的小型ビジネス飛行機で、双発のプロペラ機。1963年(昭和38年)初飛行。
日本初のビジネス飛行機
三菱から多数の技術者が出向し、日本航空機製造でYS-11の開発が行われていた1960年(昭和35年)ごろから企画が始まった。三菱はF-86FやS-55のライセンス生産を通じて戦前の自信を取り戻しつつあり、次期主力戦闘機の調査団として参加した三菱の池田研爾課長は、アメリカで多数の小型ビジネス機を目撃し、「この程度なら三菱でもできるのでは」と考えて、帰国すると早速、若手技術者らに自分の見たものを説明し、独自に計画を進めた。
コンセプトとしては、軍民両用の小型ターボプロッププロペラ機で、市場は北米の社用・自家用のビジネス向けとした。
航空自衛隊
1975年(昭和50年)には長胴のMU-2GをMU-2J飛行点検機(航法用などの航空設備の動作をチェックする任務)として採用、4機導入した。外観はMU-2Gと大差ないが、機体構造が一部強化され、機内に航法・通信機器、オシロスコープ、グラフィックレコーダーなどの機材が搭載された。老朽化のためU-125に交代し、1994年(平成6年)3月22日に用途廃止となった。
B65 ビーチクラフト
クイーンエア
ビーチクラフト クイーンエア(Beechcraft
Queen Air)は、ビーチ・エアクラフト社が開発したレシプロ双発ビジネス機。
前作ツイン・ボナンザをベースに胴体断面の直径を大きくし、より強力なエンジンを搭載した機体である。また、完全な計器飛行用機器を標準装備するだけでなく、自動操縦装置や気象レーダーもオプションで搭載でき、当時の旅客機に匹敵する能力を有していた。大きく分けてモデル65/70/80/88の4種類が存在する。
航空自衛隊
航法訓練機。当初は海上自衛隊に運用を委託していた。
1980年に航空自衛隊側に移管され、連絡、人員/軽貨物輸送機として使用される。 1998年3月全機退役。
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