新田原基地 まさ's DAILY  PHOTO  GALLERY   (2001.2.3 オープン)          (2001.9.7 設置) 
         


2027(令和9)年6月25日

No.8916




1997年の航空自衛隊戦技競技会は新田原基地で開催されました。
(1988年12月に次いで、2回目の新田原基地での開催でした。)


これは、競技会中の1997.05.27に撮影した301SQ-F4EJ改の421号機の離陸です。
AGRとの対戦当日になって、隊長機を示す2つ星が垂直尾翼に書いてありました。







これは、新田原基地で撮影したF4EJー406号機です。


・1枚目の写真:1984.02.07撮影。日米共同訓練に築城基地から304SQ機として参加しました。
 機体は1983年の戦技競技会参加塗装をしていました。


・2枚目の写真:1990.10.19撮影。新田原基地301SQ所属機。通常塗装。


・3枚目の写真:1999.02.23撮影。百里基地501SQ所属機。偵察航空隊の塗装。









これは、1992.11.29に新田原基地航空祭で撮影した百里基地所属の501SQ-RF4Jの905号機の離陸です。








これは、1994年ー1997年に撮影した新田原基地で撮影した301SQのF4EJ改の編隊離陸です。


このころ、よく上面ガルグレーの旧正式塗装機と全面青系グレ-の新制空迷彩塗装機の組み合わせで飛行していました。












これは、1994.12.04 に開催された新田原基地航空祭で撮影した301SQのF4EJ改ー402号機の編隊離陸です。


当時、新田原基地航空祭は、終日順光で、 RWにとっても近い場所から、RWチェンジに関わりなく、RW沿いにどこからでも撮影できる「日本一の航空祭」といわれていました(^^)。

今では、終日逆光で、撮影はとってもしづらい航空祭となりました(><)。








これは、1995.11.26に開催された新田原基地航空祭で撮影した301SQのF4EJ改ー306号機の離陸です。


F4EJ改の新旧の正式塗装機の編隊離陸です。







これは、1998.01.26 に新田原基地で撮影したダーツターゲットを曳く301SQのF4EJ−393号機です。


この機体の離陸時に、ちょうど背景だけが曇り、白系のこの機体が浮き上がりました(^^)。








これは、1993.11.28に新田原基地航空祭で撮影した301SQ-F4EJ改の437号機の早朝離陸です。


背景にMCのFA18、EA6B、空自のF1、T33、T1そしてV107が展示されています。

航空祭終了後は、これら機体が各所属基地へ帰投するのを撮影する楽しみがありました。(^^)v。







最初に新田原基地で、F4EJの433号機を見たのは1984.10.24でした。


この時は1984年11月の戦技競技会を前にして、新田原基地に飛来して訓練をしていました。
機体全面にダークグレイの迷彩塗装をしていました。


次に新田原基地で、F4EJの433号機にあったには1997.02.24でした。このときは、RF4EJになって活躍していました。








1991年に301SQにF4EJ改として配備された434号機は、1992年は戦技競技会参加機として、1994年は戦技競技会参加の敵役(F1戦闘機フェイカー)として活躍しました。








これは、1991.07.25に新田原基地で撮影したF4EJ 434号機です。

この日、「改」になったF4EJを見て、初見のうれしさで興奮した記憶があります。

その後、しばらくF4EJとF4EJ改が一緒に飛んでいました(2枚目 1991.11.25撮影)。









これは、百里基地で行われた航空自衛隊航空観閲式の帰りの1997.10.27に新田原基地に立ち寄った那覇基地302SQ所属のF4EJ改440号機です。


F-4ファントムは1950年代から約20年間に渡り全世界で5195機製造され、その最終生産機がこの440号機です。
私たちマニアは、機体番号から「シシマル」の愛称をこの機体に付けています。

現在、この機体は、退役して岐阜県の「かがみはら航空宇宙博物館」に保管展示されています。








これは、1987.09.21に新田原基地で撮影した301SQ-F4EJです。


1985年3月に、301SQは百里基地から新田原基地に移駐してきました。

その中にいたミグ21のシルエット塗装機を除いて、301SQのF4EJは、機体に特別なペイントを全くしてくれませんでした。
(1989年11月の戦技競技会時にAmigoの文字を胴体に描いた機体が登場するまで。)

そのため、当時は、小さなシャークティースを描いたダーツターゲットマシン付きのF4EJを見ると、うれしくて追いかけました。








これは、1986.07.01(上写真)と1986.12.01 (下写真)に新田原基地で撮影したALQ-6(F-4EJ専用ジャミング用ポッド)を搭載した301SQの359号機です。

私は、ALQ-6を見たのはこの時の2回だけでした。


ウェブサイトによると、
ALQ-6は、1980年(昭和55年)ごろより数機分が製造され使用された国産のF-4EJ専用ジャミング用ポッドである。
搭載には機体改修が必要であり、ALQ-6を搭載可能だったのはNo.339、No.359、No.395、No.370等の少数機である。
1990年以降のAN/ALQ-131(F-4EJ改用)導入に伴い廃止された。とのことです。








1986年9月ごろ、航空自衛隊は、国内の各戦闘機部隊に対し、実戦に即した機体塗装の研究を命じました。


1枚目の写真は、1986年10月3日に新田原基地で撮影した、301SQのF4EJー389号機です。
大きな日の丸や機首の機番をオーバースプレイして小さくしていました。
部隊マークも小さくなっていました。
このような機体がほかに2機確認できました。


2枚目の写真は、1枚目の写真の比較写真で通常塗装の389号機です。
(1986.07.01撮影です。写真の背景にT2アグレッサーが見えます。
この日、濃淡グレーのおどろおどろしい塗装のT2-AGRが4機に増えていました。

このT2-AGRの171号機は、1986.09.02に事故で墜落しました。とってもつらい悲しい事故でした(TT)。

 この年は、6月にF4EJが2機が墜落(309号機と370号機)するなど、新田原基地では大事故が続きました。そのため、新田原基地では、この事故後1か月間、飛行停止になりました。1986年10月3日が飛行再開日でした。この年の新田原基地も航空祭も中止になりました(TT)。)











1986年9月ごろ、航空自衛隊は、国内の各戦闘機部隊に対し、実戦に即した機体塗装の研究を命じました。


上の写真は、1986年10月3日に新田原基地で撮影した、301SQのF4EJー327号機です。
大きな日の丸や機首の機番をオーバースプレイして小さくしていました。
部隊マークも小さくなっていました。
このような機体がほかに2機確認できました。


下は、上の比較写真で、通常塗装の327号機です。(1992.11.24撮影。)








これは、2000.12.05に新田原基地で撮影した301SQのF4EJ改です。

この日、301SQのF4は、三沢基地近くの射爆場へ射爆訓練に向かいました。
それを支援するために小牧基地からC130輸送機が飛来しました。

341号機の機体翼面下に、F104のパイロンタンクを改造したトラベルポッドと、その横に訓練用ディスペンサー(SUU-21/A )の先端が見えます。
(このディスペンサーには、BDU-33 25ポンド訓練爆弾を6発携行する事ができるとのことです。)








これは、1993.02.02に新田原基地で撮影した那覇基地から飛来して訓練する302SQのF4EJ 改です。

飛来したF4EJは、すべて「改」に改修されていました。

さらに全機体、胴体下用の600ガロン増槽タンクを付けずに飛行していました(@@)。


「改」に改修されてから、私は、増槽タンク無しのF4を見ることはほとんどありませんでした。さぞ、身軽な機敏な動きをしたことでしょう(@@)。










これは新田原基地で撮影した301SQのF4EJ−349号機です。

この機体は「改」にならずに、ターゲット曳航機として活躍していました。


1枚目は1994.08.17撮影。ミサイル標的(RMK-19A/A47U-3)を曳航。

2枚目は1994.10.31撮影。ダーツターゲットを曳航。

3枚目は1997.01.23撮影。ダーツターゲットを曳航。(新制空迷彩塗装)です。








1992.09.11に航空自衛隊百里基地で創設25周年記念式典が開催されました。

縁があって、私もこの催しに一般参加させてもらいました(^^)v。

1992年の戦技競技会参加の305SQのF4EJ改が展示されていました。
その迷彩塗装の完璧な美しさに見惚れてしまいました(@@)。

305SQのF4EJは、このころF15Jへの改編時期でした。すでに3機の梅マークのF15Jがいて、祝賀飛行を行いました。










1986年に小松基地で306SQの5周年記念塗装機が出現しました。

当時、戦技競技会の迷彩塗装研究で培ったノウハウ(カウンターシェイド塗装)と部隊マークの「白山のイヌワシ」のイラストを組み合わせた記念塗装機(306号機)ということで航空雑誌で大絶賛されました。


当時、これを見た私は、この機体を撮りたくてたまらず、
1988年5月22日に開催された小松基地航空祭に出向きました。


当日は、生憎の雨模様でしたが、まだこの記念塗装は残されており展示飛行しました(^^)v。

あまりの美しい凝った記念塗装を目にして「来てよかった!!。」と大感激しました。












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