新田原基地 まさ's DAILY  PHOTO  GALLERY   (2001.2.3 オープン)          (2001.9.7 設置) 
         


2027(令和9)年6月26日

No.8917




これは、1983.11.6に築城基地で開催された航空祭でデモフライトした1983年戦技競技会参加塗装のF4EJ機です。

私は、この年の夏に1眼レフカメラを買って、初めての航空祭デビューでした。


このころの日本全国各地のF4部隊(百里ABの301SQ、千歳ABの302SQ、小松ABの303SQ、築城ABの304SQ、百里ABの305SQそして小松ABの306SQ)は、カウンターシェイド塗装やスプリッター塗装など、いろんな迷彩効果の研究を行い、戦技競技会には色とりどりの迷彩塗装を施したF4が出現したそうです。私は1歩これに乗り遅れました・・・(><)。










これは、1984.11.25に開催された新田原基地航空祭に、お隣の築城基地から飛来してフォーメーションでデモフライトした 304SQのF4EJです。

4機とも、1983年の戦技競技会参加塗装をしていました(@@)。

おもわず「おお〜!。かっこいい!。」と叫びました。






これは1984.10.24に新田原基地で撮影した築城基地304SQ所属のF4EJです。

1984年11月開催の戦技競技会前に新田原基地に飛来して訓練していました。
(このころの新田原基地には、204SQのF104Jと発足間もない202SQのF15Jがいました。)

これらF4EJは、機体全面をダークグレイに塗装していました。

さらに、戦技競技会参加の際には、機体上面に黒色で排気ノズルのフェイク塗装を追加していました。
(2枚目写真 1986.02.19撮影 日米 DACT参加機)









これは、1989年3月1日に新田原基地で撮影した301SQのF4EJー312号機です。

この日、1986年3月に用廃になったF104Jのチップタンクをトラベルポッドに改修してF4EJに装着しているのを初めて見ました。

当時、F104Jが用廃になって心にポツンと穴が開いたようで寂しかった私は、これを初めて見たとき「やったあ。F4EJとF104Jの合体だあ。F104Jが復活したあ!!」と大喜びしました。







これらは2000年2月に、新田原基地で撮影したガン射撃用のターゲット (A/A37U-36)を牽引するF4EJ改です。2機目の機体(424号機)にはシャークが書いてあり、猛獣のように思えます(^^)v。








これは新田原基地で撮影した301SQのF4EJ改ー424号機です。


1枚目は1998.05.19に撮影した1998年戦技競技会参加塗装。(この年は、シャーク無し)

2枚目は1999.08.31 に撮影した1999年戦技競技会参加塗装。

この機体は、性能が良い機体だったようで、2年連続戦技競技会参加機に選ばれています。








これは1998.11.29に開催された新田原基地航空祭で撮影した301SQのF4EJ改ー333号機です。

この機体は、当時、所属する基地を頻繁に移りまわっており、マニアの間から「トラブルスリー」と呼ばれていました。
かなりのお転婆なお嬢さんだったようです。
この日の航空祭でも、大空をかなりはしゃぎまわっていました。








これは1991.08.26に新田原基地のRW10エンドで撮影した301SQのF4EJ改のタキシーです。

ここのポイントは、背景がすっきりして好きなポイントでした。でも今では、基地内に高い塀ができたために撮影できません。








AN/ALE-41チャフポッドを装着した301SQのF4EJを集めてみました。


私は、装備品には疎いので詳しいことは全く分かりませんが、
このポッドは、F4EJおよびF4EJ改双方で使用していたようです。


1枚目は1985.08.20に撮影した384号機。

2枚目は1991.11.25に撮影した422号機。

3枚目は1992.03.06に撮影した425号機(改)。

4枚目は1998.01.26に撮影した425号機(改)。










これは、 新田原基地航空祭における301SQーF4EJ改 434号機のデモフライトのための早朝離陸(RW10離陸)です。


上の写真は、1991.12.01の航空祭での撮影。
下の写真は、1992.11.29の航空祭での撮影。








これは、 1996.11.24に開催された新田原基地航空祭における301SQーF4EJ改のデモフライトのための編隊離陸です。

手前の機体はガルグレー塗装の旧正式塗装機、向こう側の機体はブルー系グレイの新制空迷彩塗装機でした。

同じF4EJ改の離陸ですが、両機の塗装が違うために私たちマニアは大喜びしました。







これは、2000年に新田原基地で撮影した301SQのF4EJ改です。

この機体は、この年の戦技競技会参加の特別塗装です。


2000年末の新田原基地航空祭まで、この特別塗装を残してくれました。


この機体のエアインテークベーンには、301SQの部隊マークのカエルが、敵であるAGRのマスコットのコブラをとっ捕まえて食べようとしています。

実際、この年の6月に行われた航空総隊戦技競技会要撃部門では301SQは優勝していますので、301SQのカエルたちは、たくさんのAGRのコブラを食べたのでしょう・・・(^^)v。









1992年の戦技競技会では、301SQのF4EJ改は、明るい濃淡グレー迷彩をしていました。

赤い日の丸までオーバースプレイしていました。

牛の模様のようなところから、私たちマニアからは「モーモー」と呼ばれて親しまれました。


下の写真は、1993年年8月に撮影した、新制空迷彩となったF4EJ改との編隊離陸です。どちらが迷彩効果が高かったのでしょう?。








これは、1995.05 に新田原基地で撮影した301SQのF4EJ改です。

これらの機体は、この年の戦技競技会参加の特別塗装をしています。

この年の競技会はガン射撃大会だったために、機体全面にかなり派手な戦意高揚のための目立つ塗装を施していました。


・1枚目の375号機は、上面ガルグレー(下面は白色)の旧正式塗装の上から、この年の戦技競技会用の特別塗装を施しています。

・2枚目の386号機は、上面ガルグレー(下面は白色)の旧正式塗装の上からブルー系グレーのオーバースプレイしたうえに、この年の戦技競技会用の特別塗装を施しています。

・3機目の425号機は、ブルー系グレイの新制空迷彩塗装の上からこの年の戦技競技会用の特別塗装を施しています。この頃、航空自衛隊のF4 の正式塗装が変更されました。









これらは 新田原基地所属の機体との訓練のために、築城基地から飛来した304SQ所属のF4EJです。

これらの機体は、胴体上部に目立つ色の識別帯を描いていました。


上は1984.11.22に撮影。ガン射撃訓練のためのダーツターゲット牽引機。

下は1988.02.16に撮影。日米共同訓練参加機。








これは 航空自衛隊百里基地で開催された航空観閲式に参加するために、1997.10.27に新田原基地に立ち寄った那覇基地302SQ所属のF4EJ改ー338号機の離陸です。








これは 1993.11.28に開催された航空自衛隊新田原基地航空祭で撮影した、301SQ所属のF4EJ改ー338号機の早朝編隊離陸です。

編隊離陸の僚機のブラストで背景が揺れて、良い雰囲気の写真になりました。








これは1997.07.04に航空自衛隊築城基地のRW25エンドで撮影した新田原基地301SQ所属のF4EJです。


この日は、築城基地の6SQのF1戦闘機のために、F4EJがミサイル用標的A47U-3 / RMK-19 Targetを付けて一緒に訓練していました。


各F4部隊では、F4EJがF4EJ改になってからも、ガン射撃やミサイル用の標的を牽引するために、数機のF4EJがいました。








これは1994.08.17に新田原基地で撮影した301SQのF4EJ改の編隊離陸です。

背景の入道雲が、真夏らしさを引き立ててくれました。







これは、1997年(上)と2000年(下)の航空自衛隊新田原基地航空祭でデモフライトのために離陸した301SQのF4EJ改 315号機の離陸です。








これは、1995.02.21 新田原基地で撮影した那覇基地所属の302SQのF4EJ改です。


この日、機体左側パイロンに対艦ミサイルを付け、右側パイロンには、302SQ20周年記念塗装機に装着したトラベルポッドを付けていました。

後日、航空雑誌によりますと、この機体は百里基地にも飛来したとのことですので、何らかの目的で各基地を巡回飛行したのかもしれませんね。








これは1992.11.24に新田原基地で撮影した301SQのF4EJ改の編隊離陸です。


このころは、この年の戦技競技会に参加する機体のために、F1戦闘機の塗装を機体全面に施したフェイカー機(敵機役)が2機いて、しばらく飛んでいました。








これは、1999.05.12 に新田原基地で撮影した301SQのF4EJ改の編隊離陸です。

400号機は、戦技競技会を前に機首にシャークを書き入れています。

機体の背景に那覇基地の302SQのF4EJ改が駐機しているのが見えます。
このころは、戦技競技会前になると、那覇基地から302SQのF4EJ改が新田原基地に展開して、301SQと一緒に訓練していました。







これは、1996.12.03 に新田原基地で撮影した306SQのF4EJ改の編隊離陸です。


航空総隊の総合演習で、306SQのF4EJ改が3SQのF1戦闘機と一緒に新田原基地に展開していました。

306SQのF4EJ改は、このあとすぐにF15Jに機種改編しました。








これは、1995.06.15 に新田原基地で撮影した301SQのF4EJ改417号機です。

この年の戦技競技会参加の塗装をしています。

この年の競技会はガン射撃大会だったために、機体全面にかなり派手な戦意高揚のための目立つ塗装を施していました。

この機体は隊長機だったので、目の色は金色でした。また胴体のVマークの中縁取りも金色でした。
(この日は、梅雨のために雨模様だったのが残念です・・・><)。








これは1998.11.26に、新田原基地で撮影した301SQのF4EJ改の編隊離陸です。

たまに、マニア向けの離陸をしてくれることがあります(^^)。








これは、1997.02.18に新田原基地の眺鷲台公園から撮影した301SQのF4EJ改の編隊着陸です。







2000.09.04に新田原基地で撮影した301SQのF4EJ改です。

404号機は、この年の戦技競技会参加機でした。
シャーク機がいると、画像が生き生きとするので好きです。







1999.04-05に新田原基地で撮影した301SQのF4EJ改です。

この年は戦技競技会に備えて3機のフェイカー機(要撃の際の敵役機)がでました。









On December 1, 1997, to commemorate the 40th anniversary of the opening of the Japan Air Self-Defense Force Nyutabaru Base, the F-4EJ Kai of the 301st Squadron was given a commemorative paint job.
F4EJ Kai - No. 400, one "0" in the ones place was deleted and the area around 40 was decorated with a laurel wreath.
Also, on the nose of the aircraft was an illustration of the F4 Phantom II's image character, Spook, firing a Kamehameha blast.
This was inspired by the Kamehameha waves emitted by Son Goku, the main character of the TV anime Dragon Ball, which was quite popular in Japan at the time.









2007年(平成19年)10月の 新田原基地で開催された航空総隊戦技競技会です。

この時、はじめてAGRのコブラマーク8個並びを撮ることができました。

これって、立ち位置や機体の並びの関係でなかなか撮れません・・・(^^;)。
このころは、毎年の戦技競技会が楽しみでした。









This is a 301SQ F4EJ Kai taken at Japan's Air Self-Defense Force Nyutabaru base in July 2003.

Before the 2003 Air Self-Defense Force Combat Skills Competition (this year's competition was the Interception/ACM), shark teeth were painted on the nose of the F4EJ Kai to raise fighting spirit.
Furthermore, the Japanese word ``Hisatsu'' (deliver a deadly blow) was written on the air intake splitter vane.









In the spring of 1992, the F4EJ Kai with light blue and navy blue identification bands was released to 301SQ at JASDF-Nyutabaru Base. It seems that these aircraft were fakers during training for the 1992 JASDF combat competition...











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