新田原基地 まさ's DAILY  PHOTO  GALLERY   (2001.2.3 オープン)          (2001.9.7 設置) 
         


2027(令和9)年9月18日

No.9001




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This photo was taken at RW28 End at Nyutabaru Air Base in July 2005.








This photo was taken at Tsuiki Air Base on May 21, 2018, of an AGR deployed from Komatsu Air Base.The pilot of this AGR was posing as a hypothetical enemy country.On this day, the AGR unit borrowed a single-seater F15J-882 from 306SQ at Komatsu Air Base.








This is the 204SQ-F104J No. 699 taken at the JASDF-Nyutabaru Air Base Festival on January 22, 1984.







This photo was taken on December 5, 2004, of a C1 transport aircraft belonging to Iruma Air Base at the JASDF Nyutabaru Air Base Air Show.
This aircraft was painted entirely in commemorative livery to commemorate the 50th anniversary of the founding of JASDF.









This is a 301SQ-F4EJ Kai belonging to JASDF's Nyutabaru Base, photographed at Tsuiki Base on October 10, 1992.
These aircraft are painted in the camouflage pattern of the 6SQ-F1 Jet fighter
.








This photo was taken on December 1, 2004 at the JASDF Nyutabaru Air Base, and shows a 301SQ-F4EJ Kai aircraft taking off, with the aircraft painted to commemorate the 50th anniversary of the founding of the Japan Air Self-Defense Force.






These are 305SQ-F4EJs photographed at JASDF Hyakuri Air Base in September 1992.

These aircraft were painted in the JASDF Combat Skills Competition paint scheme of that year.










This photo was taken at the JASDF-Nyutabaru Air Base Air Show held on December 7, 2003, and shows 301SQ-F4EJKai taxiing on the RW after completing a demonstration flight.








These photos were taken at JASDF-Nyutabaru Air Base on October 28, 2015, of 301SQ-F4EJ Kai taking off.

The second photo, No. 17-8440, is the last F-4 Phantom produced anywhere in the world (the 5,195th in total), and was extremely popular with aviation enthusiasts in Japan.







1982年5月5日に開催された岩国基地米海兵隊の「フレンドシップデー」に友人に初めて連れて行ってもらいました。

それまで航空雑誌でしかみたことがなかった、いろんな米軍機を間近で見てそして触ることができる航空祭に感動しまくりました。


この日の岩国基地「フレンドシップデー」の様子です。
このころは、フジカの35mmコンパクトカメラ使用でした。

  米海兵隊機編です。











  米海兵隊機編です(No.2)。







  米空軍機編です。







  航空自衛隊機編です。







  海上自衛隊機編です。








  この日は、行ったことが無いUSAの雰囲気を終日楽しみました(^^)。

    




新田原基地の旧管制塔(通称:ニュータ・タワー)には、タワーの南側(エプロン側)に 大きな赤い文字で 「NYUTA AIR  BASE   F.E. 259FT」 と表記してありました。 

このニュータ・タワーは、まさしく新田原基地のシンボルで、このタワーを背景に飛行機撮影をするのが好きでした。

このタワーは古くなったためでしょうか、
2023年始めに解体撤去されました。 軍用機マニアとしては、新田原基地のシンボルが亡くなってとても寂しいです。





1998.11.29に開催された新田原基地航空祭で撮影した202SQ-F15DJです。
後席には、米空軍パイロットが登場しています。


当時、202SQは通常の要撃任務のほかに、「F-15機種転換操縦課程(操縦者教育)」の任務を担っていました。
そのために、202SQには常時米軍パイロットが在籍していました。






2001年秋に新田原基地で撮影したAGRの離陸です。

このころのAGRは、機体及び迷彩塗装パターンが結構長い間固定されていました。(単座機を覗きます。)









2001.10.24に新田原基地で撮影したAGRのF15DJ-080号機です。

AGRの常連の機体がアイランに入ったためでしょうか、暫定の迷彩塗装を施したこの機体がしばらく常駐していました。







1998.11.26に新田原基地で撮影したAGRのF15DJ-067号機(暫定塗装機)です。

2枚目の写真の背景には、米空軍のC17が写っています。


このころ、陸上自衛隊と米陸軍との日米共同訓練が南九州の演習場で行われました。
米陸軍の装備を輸送するために、このC17(60006号機)が新田原基地に飛来しました。
このC17(0006号機)は、当時、米映画『フリー・ウィリー』で人気を博したシャチの「ケイコ」を、1998年9月9日にアメリカ合衆国のニューポートからアイスランドへ空輸した機体として有名でした。この機体の後部フィンには、シャチのイラストが描かれていました。







1枚目は、2000年11月4日に新田原基地で撮影した2000年戦技競技会参加塗装を施した202SQのF15J-917号機です。
202SQの閉隊を前にして、垂直尾翼にロービジで「202SQ FOREVER」と書いてありました。


2枚目は、2000.09.26に新田原基地で行われた「202SQ閉隊記念式典」でラストフライトを行った202SQのF15J-917号機です。


3枚目は、新しく新田原基地に発足した「F15パイロット養成教育」を行う23飛行隊で活躍している917号機です。(2001.07.26撮影)







これは、1989年11月26(日)の新田原基地航空祭 早朝です。

早朝のオープニングの異機種編隊飛行を終えてRWタキシーする2機の202Q-F15Jです。

884号機は、この年の戦技競技会参加機で、胴体には戦意高揚のためのステッカーが貼ってありました。
(これは202SQの部隊マークであるおとなしい顔の「埴輪」が、当時の日本特撮映画「大魔神」であったようにに、戦意で目覚めて豹変した様子を表しているようです。)


当時、航空自衛隊のF15Jの機体にはステッカーや塗装は施さないという慣例があったそうで、それを最初に破った機体のようです。これ以降、航空自衛隊のF15Jは、様々な塗装を機体に施すようになりました。



            ↑ 特撮映画「大魔神」   Wikipediaから引用しました。





1990年に開催された航空自衛隊の戦技競技会参加塗装を施した202SQのF15Jです。

この年の競技会は、ガン射撃大会だったのでしょうか?、
各機体の垂直尾翼に、旧202SQの部隊マークをかなり大きく書いていました。(4枚目の 1981.11.15撮影の 202SQ-F104Jを 参照)

これは、202SQが所属する第五航空団の「V」と勝利を意味する「V」を意味していました。





1990年に開催された航空自衛隊の戦技競技会参加塗装を施した202SQのF15Jです。

この年の競技会は、ガン射撃大会だったのでしょうか?、
各機体の垂直尾翼に、旧202SQの部隊マークをかなり大きく書いていました。(4枚目の 1981.11.15撮影の 202SQ-F104Jを 参照)

これは、202SQが所属する第五航空団の「V」と勝利を意味する「V」を意味していました。









1995年に開催された航空自衛隊の戦技競技会参加塗装を施した202SQのF15Jです。

この年の競技会は、ガン射撃大会だったのでしょうか?、
各機体の垂直尾翼に、旧202SQの部隊マークをかなり大きく書いていました。(4枚目の 1981.11.15撮影の 202SQ-F104Jを 参照)

これは、202SQが所属する第五航空団の「V」と勝利を意味する「V」を意味していました。






                    1981.11.15 新田原基地航空祭で撮影                     


1996年に開催された航空自衛隊の戦技競技会に、新田原基地所属の202SQのF15Jは、機首に日本の昔の特撮映画「大魔神」に出てくるようなイラストを書いていました。

202SQの部隊マークは、おとなしい表情の「埴輪」です。







1997年05月末に新田原基地で、航空自衛隊の戦技競技会が開催されました。

この時、新田原基地所属の202SQのF15Jは、機首に日本の昔の特撮映画「大魔神」に出てくるようなイラストを書いていました。

この特撮映画は、普段おとなしい表情の埴輪が、村人を虐める悪者たちを懲らしめるときは、恐ろしい顔の大きな「魔人」に変身して成敗するという内容でした。

202SQの部隊マークは、おとなしい表情の「埴輪」です。
この時の機首のイラストは、その埴輪が敵役のAGRのコブラを握りしめていました。









1998年に開催された航空自衛隊の戦技競技会に参加した、新田原基地所属の202SQのF15Jには、
機首に「Sprit of the Eagles' nest!」の文字が書いてありました。


当時の202SQは、通常の「要撃任務」のほかに、「F-15機種転換操縦課程(操縦者教育)」の任務を担っていましたので、日本のF15パイロットの皆さんの古巣でした(^^)。







1999年に開催された航空自衛隊の戦技競技会に参加した、
新田原基地所属の202SQのF15Jには、機首に「Sprit of the Eagles' nest!」の文字と旧202SQの部隊マークがともに小さく書いてありました。

当時の202SQは、通常の「要撃任務」のほかに、「F-15機種転換操縦課程(操縦者教育)」の任務を担っていましたので、日本のF15パイロットの皆さんの古巣でした(^^)。

旧202SQの部隊マークは、202SQが所属する第五航空団の「V」と勝利を意味する「V」を意味していました。








2000年に開催された航空自衛隊の戦技競技会参加塗装を施した202SQのF15Jです。


2000年9月の202SQの閉隊を前にして、垂直尾翼にロービジで「202SQ FOREVER」と書いてありました。










1999年に開催された航空自衛隊の戦技競技会に際して、202SQには敵役をするフェイカー機がでました。

これは、1999年4月〜5月に新田原基地で撮影した202SQのF15によるフェイカー塗装機です。








新田原基地の202SQが2000年9月に閉隊する前に、F15パイロットの養成教育だけを行う「臨時飛行教育航空隊」が1999年8月に発足しました。

これは、2000年2月に新田原基地で撮影した「臨時飛行教育航空隊」のF15です。

垂直尾翼の内側にも部隊マークを付けていました。
この部隊は2000年10月に正式に23飛行隊として発足しました。
(23SQは、202SQと違い対空任務は行いません。)






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