新田原基地 まさ's
DAILY
PHOTO GALLERY
(2001.2.3 オープン)
(2001.9.7 設置)
2027(令和9)年9月30日
No.9013
Facebook
「ゆるい航空機写真部」 投稿です。
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2024年9月17日
皆さん、初めまして。どうぞよろしくお願いします。
早速ですが、フェイスブックで友人になっているスペインの方からお問い合わせがありました。
内容は、RF4EJ-433号機の最終SP塗装機のプラモデルを作りたいとのことです。
それにあたり、I have a technical question,
I found this 2 different settings for the back
seat, not sure which one should I use for my
model 433, do you know? thank you in advance.
「技術的な質問があります。後部座席に2つの異なる設定があるのを見つけましたが、モデル433にどちらを使用すればよいかわかりません。ご存知ですか?よろしくお願いします。」(以上はグーグル翻訳です。)
多分、RF4EJの後部コクピットは下の写真のどちらの形状ですか。」との問い合わせかと思います。
RF4EJは、F4EJ改並みの能力向上のためのコクピット改造がなされたのでしょうか。
それとも、F4EJのままだったのでしょうか。
お分かりの方がいらっしゃいましたら、どうぞお教えください。 |
2024年9月18日
| This
is the emblem of the 2nd Air Wing of the Japan
Air Self-Defense Force. This wing is based at
Chitose Air Base in Japan, and has the F15
squadrons 201SQ and 203SQ under it. This mark was
made in 2022. I have never seen the real mark of
this wing. It is such a rare mark. this
illustration shows a bear's face covered with
four wing feathers. Hokkaido, where Chitose Air
Base is located, has long been famous for its
wooden carvings of bears. And the first two wing
feathers at the top of the bear's face represent
JASDF-2nd Air Wing, and the remaining two
feathers represent its subordinates, 201SQ and
203SQ, respectively.
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2024年9月18日
1990年09月02(日)、長崎空港にコンコルドが飛来しました。
長崎「旅」博覧会のイベントとして飛来しました。
この日、私は家内と当時4歳の長男、2歳の長女を連れて見物に行きました。
コンコルドは、香港発お昼の12時到着予定でしたが、1時間半遅れました。
真夏日で空港敷地内には避暑地もなく子供たちはぐずるし、コンコルドが飛来したときは意識もうろう状態でした。
コンコルド飛来後、ふらふらと滑走路沿いを数キロ歩いて空港ターミナル側駐車場に向かいましたが、突然の雷雨にぐっしょり・・・半べそかきながら自宅の熊本市まで帰路につきました(><)。
今では良い思い出です(^^) |
2024年9月19日
2016年4月に、私が住む熊本市は2回の大地震に襲われました。
この熊本地震の被災者を勇気づけようと、ニュージーランド在住の会社社長さんが里帰りゼロ戦で2016年5月31日に熊本地震の震源地を中心に慰問飛行を急遽実施してくださいました。
そしてこの時に被災された多くの皆さんを勇気づけてくれました(^^)。
ゼロ戦主翼下の大きな「くまモン」のエンブレムにとっても親しみがあります(^^)v。 |
2024年9月20日
2016年4月の熊本地震からの復興を祈念して、2017年4月22日(土)と23日(日)に、熊本城上空に円を描く航空自衛隊のブルーインパルスによる曲技飛行が行われました。
熊本地震で被災した熊本城の現状などを全国に伝えることが目的でした。
熊本城内は、6万人の声援と歓声が響き渡りました。
熊本県での展示飛行は、熊本城築城400年で祝賀飛行した2007年4月以来10年ぶりでした。
なお、ブルーインパルスが所属する松島基地(宮城県)は2013年東日本大震災で被害を受けましたが、2011年3月12日の九州新幹線全線開業(熊本市〜博多間)イベントのためブルーインパルスは九州に移動していて被災を免れました。 |
2024年9月20日
1987年の芦屋基地航空祭です。
機体をバックにモデルさんの撮影会場がありました。
当時若かった私は、飛行機よりもモデルさんを終日追いかけました(^^;)。 |
2024年9月20日
築城基地で撮影した304飛行隊の部隊マーク「天狗」のイラストです。
1枚目は1995年です。部隊マークの天狗さんが、竹筒でできたバルカン砲を持っていました。かなり愉快な凝ったイラストでした(^^)v。
2枚目は2004年です。部隊マークの代わりに、とってもリアルな天狗を書いていました。
3枚目は2006年です。「・・・?。そういわれれば天狗かも??」。デフォルメしすぎ・・・(^^:)。 |
2024年9月21日
1990年の航空自衛隊301SQーF4EJ 371号機の機首のシャークマウスはとってもユニークでした。
機体の左側面のシャークマウスは、ダーツターゲットを咥えています。
しかもそのターゲット部分には、射撃して当たった弾痕まで細かく描かれていました。
右側面のシャークマウスには、咥えたダーツターゲットの先端部分が書いてありました。
よく考えて書き込みしてあるなあと感心しました(^^)v。
この機体は、この年の航空自衛隊の射撃大会に出場した機体のようです(^^)v。 |
2024年9月23日
「がんばれー」と声援を送って手を振る私達に
「ガオー!!。」ポーズで応える余裕しゃくしゃくのパイロットさん!!。
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2024年9月23日
1986年ごろは、熊本空港〜徳島空港間にTDAの直行便(使用機材はYS-11)が1日1報復ありました。
1986年3月の職員旅行でこの便を利用することになり、私はスチュワーデスさんに事前に撮ったTDAのYS-11の2Lサイズ写真の裏に「皆さんのサインをください。」とお願いしました。
するとしばらくして「機長がお呼びです。」とコクピットに案内されました。
そして機内でいろんな機器の説明をしていただきました。
一番驚いたのは、人が動くたびにバランス調整のために自動で動く大きな3つのギアです。「随分と人間味のある飛行機だなあ。」と感動しました(^^)。
私は興奮しまくりました(@@)。
結局、目的空港に着陸するまでコクピットに乗せてもらいました(^^)。
このころは、おおらかな時代だったようです(^^)。とっても良い思い出となりました(^^)。 |
2024年9月23日
1982年5月5日の岩国基地フレンドシップデーです。
初めて米軍基地に友人に連れて行ってもらいました。
米軍基地というと英語を話せない私にはとっても怖いイメージがあったのですけど、この日は終日アメリカのフレンドリーな雰囲気を存分に味わうことができました(^^)。
このころは、バカチョンカメラ(今では死語?)で珍しい米軍機やアメリカ人の出し物を撮りまくりました(^^)。
↓ 本場のファントムシャークの前で |
2024年9月24日
1979〜1980年、The
Air Museum Planes of Fameのエド・マロニーさんのWW2大戦機のコレクションが日本各地で展示されました。
私が住んでいる熊本県でも1980年の春に、荒尾市にある遊園地「三井グリーンランド」で日本に現存する大戦機等と一緒に航空博覧会が開かれました。
当時流行のバカチョンカメラで撮りました(^^)v。
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2024年9月24日
1992年の築城基地航空祭です。
築城基地が1942年の開設されたとのことでこの日F15、F1およびT33に築城基地開設50周年記念の塗装が施されていました。
これはF1のセンタータンクに描かれた築城基地に在籍した航空機のシルエットです。
手前から零戦、96陸攻撃、96艦戦、90機上作業、93中練(赤トンボ)、銀河、P-51(米空軍)、P-80(米空軍)、F-86(米空軍)、T33、F86、F4、F1、F15、T4が書いてあります。 |
2024年9月24日
1992年の築城基地航空祭です。
築城基地が1942年の開設されたとのことでこの日F15、F1およびT33に築城基地開設50周年記念の塗装が施されていました。
これはT33の記念塗装機ですが、チップタンク無しで飛行しました。とっても珍しい姿に感動しました(@@)。
私がT33のチップタンク無しの飛行を見たのは、このときだけでした。 |
2024年9月24日
1987年12月16日(水)に、JALのDC8の熊本空港でのさよならフライトがありました。
DC8は、霧雨のなか、10:10に香港にチャーター機として飛び立ちました。
JALのB727も駐機していました。ソウル-熊本の定期便でした。
B727の熊本でのラストフライトは12月30日のグアムへのチャーター便でした。
この日、JALの名機種 2機が熊本空港にそろい踏みしました。生憎の氷雨でした(TT)。 |
2024年9月25日
福岡空港で撮影した、2001年に登場したJALドリームエクスプレス21の塗装機です。
全部で6機の塗装機がでました。
ウィキペディアによると、ウォルト・ディズニー生誕100周年と日本航空創立50周年、そしてディズニーランド同様にJALが公式スポンサーとなった東京ディズニーシーの開園を記念した企画だそうです。 |
2024年9月25日
VHSビデオカメラで撮影したT4戦闘機のデモフライトです。
1992年11月29日(日)の新田原基地航空祭です。
202SQのT4連絡機によるかなり派手なソロによるデモフライトです。
新鋭のT4が部隊配備され始められたころで、T4による単独デモも結構珍しいでした。
1990年前後、私は航空祭のデモフライトはVHSカメラで撮影していました。
ビデオキャプチャーを使って当時撮影した映像をPCに取り込んでみました。
画質は相当悪いですが、当時の新田原基地航空祭の一端がうかがえるかなと・・・(^^)。 |
・202SQのT4連絡機によるかなり派手なソロによるデモ
2024年9月25日
これは1987年01月20日に新田原基地で撮影した202SQ-F15Jです。
胴体下に爆弾を搭載できるディスペンサー(CBLS-200)を付けています。
この頃、202SQのF15Jは、通常の要撃任務のほかにも対地攻撃訓練を行ったようです。
その後、ディスペンサーを装着した姿を見たことはありませんでした。
なおウィキペディアによると、「F-15は、対地攻撃専用の計算装置などを有しておらず、対地攻撃の機能に必要な情報処理などは、要撃戦闘に用いられる計算装置を使用してなされるものである」とあります。
ほとんど目視に近い射爆訓練だったのでしょうか??。 |
・ディスペンサー(CBLS-200)を付けた202SQのF15J
2024年9月25日
1984年の岩国基地フレンドシップデーで一緒に記念撮影していただいた新妻東一さんとその愛機です。
新妻東一さんは、お母さまがフランス人だったそうです。
戦前は陸軍の九七式戦闘機軍用機乗りとして、戦後は自衛隊機のテストパイロットとして活躍され、これらの経験を活かして「ピッツS-2A」でアクロバット飛行をされていらっしゃいました。
俳優としてもご活躍され、NHK朝の連続テレビ小説「チョッちゃん」にも出演なさいました。 |
2024年9月25日
1982年03月18日に長崎県の大村空港で撮影したPS1です。
この日、この飛行艇は数回離着水を繰り返していました。
初めて見る飛行艇の離着水と背景の美しさにとっても感激しました(^^)。
感動のあまり、当時流行りのバカチョンカメラ(今や死語)で十枚近く撮りました。
(このころはネガプリント代が1枚80円くらいしたような?。・・・当時はカラープリント代に結構お金が掛かる趣味でした・・・><。)
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2024年9月26日
2015年12月に開催された新田原基地航空祭は大雨でした(><)。
でもこんな大雨の中でも301SQのF4やAGRのF15は、これに負けじと飛んでデモフライトしてくれました(^^)v。
私たち大勢のマニアも、デジカメが雨水でショートしないか心配しながら、そして寒さにガタガタ震えながら雨の中頑張って撮りました(^^;)。
この年は、301SQとAGRにとって新田原基地在駐最後の年だったんです(TT)。 |
2024年9月26日
1986年2月に新田原基地で日米共同訓練(コープ・ノース1986)が開催されました。
嘉手納基地からZZマークのF15C(12FS)が飛来しました。
飛来したF15Cのうち1機だけ、色違いのF15Cがいました。
どうも現F15Cの制空塗装の試行だったようです。
マニアの性で、終日この機体を追いかけしました(^^;)。 |
2024年9月26日
1986年11月16日に開催された築城基地航空祭に、厚木基地の米海軍VC5(チェッカーテイルズ)のA4 2機(複座機TA4と単座機)が飛来しました。
TA4の後席は、女性パイロットでした。
当時の日本の航空自衛隊には女性パイロットはいませんでしたので、美しい彼女は日本の大勢の航空ファンの人気者で、終日ファンに囲まれていました。
当時若かった私も、そのファンの一人でした。 |
2024年9月26日
1997年5月に新田原基地で開催された戦技競技会で撮影した百里基地所属305SQの凄腕隊員さんとその機体です。
後日、写真左側の隊員さんはブルーインパルスで活躍され、右側の隊員さんは新田原基地司令になられました。 |
2024年9月26日
これは1995年の新田原基地航空祭で撮影した芦屋基地所属のT1ジェット練習機です。
芦屋基地のT1ジェット練習機は、航空祭シーズンになると毎年凝った塗装を機体に書いてくれました。
このT1ジェット練習機には、「ドラゴンボール風の龍と芦屋釜」のイラストが書いてありました。
インターネットの「芦屋釜の里」ウェブサイトによると
「芦屋釜は、南北朝時代頃(14世紀半ば頃)から筑前国芦屋津金屋(現在の福岡県遠賀郡芦屋町中ノ浜付近)で造られた茶の湯釜です。「真形(しんなり)」とよばれる端整な形と、胴部に表される優美な文様は京の貴人達に好まれ、垂涎の的となりました。・・・その芸術性、技術力に対する評価は今なお高く、国指定重要文化財の茶の湯釜9点の内、8点を芦屋釜が占めています。」だそうです。 |
2024年9月26日
1988年2月に新田原基地で撮影した301SQのT33の離陸です。
このころは、まだT33がF4EJの射撃訓練用に、バンナー・ターゲット付けて飛んでいました(2枚目写真)。
(小さくてよく見えませんが・・・^^;)
射撃訓練終了後、新田原基地のRW上空で、このバンナーを切り離していました(3枚目写真)。 |
2024年9月27日
1995年の新田原基地所属301飛行隊のF4EJ改です。
空気取り入れ口付近に赤いサソリマークが書いてあります。
これは岐阜基地の無人ジェット戦闘機QF104Jを、射撃訓練で撃墜したマークだそうです。
ほかにこのころ、203飛行隊のF15DJー077号機にも書いてるのを確認しました。 |
2024年9月27日
1984年5月に新田原基地で撮影したチップタンク無しの204SQ-F104DJ(複座型)の離陸です。
当時、航空機写真の大先輩から、
「チップタンク無しのF104のJ型(単座)は頻繁に飛んでいたけど、複座型は胴体内部の燃料タンクの関係でチップタンク無しの離陸の姿は貴重だよ。」と教えていただき、とってもうれしかった記憶があります。
私は、このころ1眼レフカメラ買って撮り始めの頃で、204SQのF104はこの年の末には退役しましたので、その真偽はわかりません(><)。
ご存じの方がいらしゃいましたらお教えくださいm(--)m。 |
2024年9月27日
1997年12月10日に新田原基地で撮影した301SQのF4EJ改 400号機です。
機首に新田原基地開庁40周年記念のイラストを書いていました。
400号機の機番を40に変え、マスコットのスプークが「かめはめ波」を出しているような愉快なイラストでした(^^)v。 |
2024年9月27日
1998.11.29に開催された新田原基地航空祭で撮影した202SQ-F15DJです。
後席には、米空軍パイロットが登場しています。
当時、202SQは通常の要撃任務のほかに、「F-15機種転換操縦課程(操縦者教育)」の任務を担っていました。
そのために、202SQには常時米軍パイロットが在籍したそうです。 |
2024年9月27日
2005年4月18日〜4月26日に、
航空自衛隊と米空軍による空中給油共同訓練が新田原基地で開催されました。
これには、千歳基地の第2航空団の201SQと203SQのF15が参加しました。
その後、第2航空団のF15は、2005年6月に米国アラスカ州で開催された「
コープサンダー2005」に参加しました。
(これは、2003年4月に行われた初の日米の空中給油共同訓練に次いで、2回目の共同訓練でした。)
この写真は、この訓練に参加した第2航空団のF15DJです。コクピットの後席には、この訓練を指導する米軍パイロットが搭乗しています。 |
2024年9月28日
航空自衛隊の隊員さんたちにも、新谷かおるさんの「ファントム無頼」ファンが大勢いらっしゃったようで、実機のF4にも戦意高揚のための新選組の「ダンダラ模様」機がでて、私たちマニアを喜ばせてくれました(^^)v。
・348号機 304SQ 1986.11.16 築城基地航空祭撮影(1枚目写真) 。
・438号機 305SQ 1992.09.11 百里基地開庁25周年記念式典で撮影(2枚目写真)。
・「ファントム無頼」680神田号機(3枚目及び4枚目)
株式会社 ハセガワ サイトから引用しました。
http://www.hasegawa-model.co.jp/userwork/80c1207/
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2024年9月28日
航空自衛隊では、戦意高揚のために付属品にもシャークティースを書いていて、これもマニアを喜ばせました。
上は、1986.12.01に新田原基地のRW28エンドで撮影した301SQ-F4EJ 398号機です。
ダーツターゲットマシンにシャークの顔が書いてありました。
下は、1993.03.09に小松基地で撮影した306SQ-F4EJ 368号機です。
この機体も、シャークの顔を書いたダーツターゲットマシンを装着していました。
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2024年9月28日
これはF4EJ 4機による編隊飛行です。
上写真は304SQの戦技競技会参加塗装機です。 1984年11月25日 新田原基地航空祭で撮影。
中写真は301SQの戦技競技会参加塗装機です。 1989年11月26日 新田原基地航空祭で撮影。
下写真は305SQ機です。この後すぐにF15に機種転換しました。1992年9月12日 百里基地開庁25周年記念式典で撮影しました。 |
2024年9月28日
太平洋上の米空母カールビンソン(F14搭載)との日米共同訓練実施(対艦攻撃訓練)のために、1990.02.27に築城基地から新田原基地に6SQ−F1戦闘機が2派にわかれて延べ10機飛来しました。
その時に洋上迷彩を施したの206号機、209号そして211号機のF1戦闘機です(たぶん1989年の戦技競技会参加でしょうか?)。 |
2024年9月28日
新田原基地のRW10エンドで撮影した、1992年の戦技競技会参加塗装をした離陸前の301SQ-F4EJ改(上)と、2004年に撮影した301SQ-F4EJ改の離陸前の列線(下)です。
今はここの撮影ポイントも無くなりました(><)。 |
2024年9月28日
新田原基地の撮影マニアの間で、一時期、並んだAGRのF15のコブラマークをどれだけたくさん一枚の写真に撮るか競い合う遊びが流行しました。
通常訓練で、AGRの機体が列線に並ぶのは多くて4機程度です。
しかも、私たちの狙い通りにコブラマークがきれいに並んで見えるように駐機することはありません(当たり前ですけど・・・^^;)。
狙い目は、航空祭当日に飛ばないAGRの機体をRW10エンドに移動して横一列に並べたときと解りかりました。
これは、2010年の航空祭時にRW10エンドで撮ったAGRのコブラマークです。
私の最高記録は、「コブラマーク9.5個並び」でした(^^)。 |
2024年9月28日
1984年初め、百里基地所属だった301飛行隊のF4EJ-428号機の機体全体に、仮想敵機である「ミグ21」のシルエットをグリーンで描かれた機体が出現しました。
私は当時、雑誌でこの機体を見て、撮りたくてたまらずウズウズしました。
1985年2月に、301SQが新田原基地に移駐してきました。
その中にミグ21塗装のF4EJがいるのを見て、私は狂喜してこの機体を撮るために新田原基地に通いつめました。
下は、1985年4月から1986年1月までに撮影した428号機です。
途中、「部隊マークは、日の丸の大きさ内に収まること。」という空自上層部の指令に基づいて、「カエル」の部隊マークが小さくなりました。
5枚目写真は、模型サイトnippper から引用しました。
https://nippper.com/2021/07/32748/ |
2024年9月28日
| 1994年5月に新田原基地で撮影した301SQ-F4EJ改の編隊離陸です。 この年の戦技競技会に備えて、フェイカー機(敵役機)としてF1戦闘機の迷彩塗装機が2機出現しました。
よく見ると上下(434号機と351号機)の機体塗装のパターンが反転しています(@@)。
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2024年9月29日
2005年の夏に、USAニューヨーク州、ロングアイランドのリパブリック空港を基地にして、大空に宣伝文字をスモークでタイピングするスカイタイパーズの 6機が日本の空を飛びました。
今回は大塚製薬の「ポカリスエット」の宣伝で、日本各国の夏空のキャンバスに白い大きな文字をかきました。
熊本市上空には、2005年8月15日に飛来し、2回にわたり真っ青な大空に「POCARI SWEAT」の大文字を書いてくれました。
職場の屋上に同僚と出て、「凄い!。凄い!。」 と歓声を上げました(^^)。
そして 「すばらしい1日を ありがとう。」 とスカイタイパーズの皆さんに叫びました(^^)。
※ 「航空ファン」誌によりますと、高さ 3,000m、 1文字の大きさ 400m、文字の長さは 4.5Kmにもおよぶとのことです。
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2024年9月29日
1枚目は、1989年11月26(日)の新田原基地航空祭早朝のオープニング異機種編隊飛行を終えてRWタキシーする202Q-F15Jです。
この884号機は、この年の戦技競技会参加機で、胴体には戦意高揚のためのステッカーが貼ってありました。
これを見たマニアの間で、これは202SQの部隊マークであるおとなしい顔の「埴輪」が、戦意で目覚めて日本特撮映画「大魔神」であったように豹変した様子を表しているようだと話題になりました。
当時、航空自衛隊のF15Jの機体にはステッカーや塗装は施さないという慣例があったそうで、それを最初に破った機体のようです。これ以降、航空自衛隊のF15Jは、様々な塗装を機体に施すようになりました。
2枚目は1996年、3枚目は1997年の戦技競技会に参加した202Q-F15Jの戦意高揚のための機首の「埴輪のイラスト」です。
大魔神ポスターはWikipediaから引用しました。 |
2024年9月29日
これは1987年9月21日に新田原基地で撮影した飛行教導隊のT2戦闘機です。
飛行教導隊のT2の塗装が一番おどろおどろしかった頃です(@@)。127号機の塗装は、その後それを完全復元して新田原基地のゲートガード機になっています。。
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2024年9月29日
1990年10月28日の芦屋基地航空祭に日本映画『BEST
GUY』の宣伝のためにいらしゃった織田裕二さんと財前直見さんです。
この映画『BEST GUY』は、日本版『トップガン』を目指して作られた、そして航空自衛隊が全面協力してできた「F104登場映画」以来の久しぶりの航空自衛隊機活躍の映画でした(^^)v。。
『トップガン』の「二番煎じ」との風評もありましたが、私には憧れの第2航空団201飛行隊の羆マークのF15Jが頻繁に出て来て、それが画面一杯飛び回る姿に酔いしれてしまいました。
そして、当時としては珍しい、15Jの垂直尾翼に識別用の帯まで入っていました(@@)。
また、この時に撮りためた映像が、後日「航空自衛隊ビデオ」シリーズの火付け役になったと聞きました。
私にとっては、青春?の思い出の映画です(^^:)。 |
2024年9月29日
これは、1986年11月の築城基地航空祭で撮影した6SQ-F1戦闘機です。
このころ、全国の戦闘機部隊から一斉に低視認塗装を施した機体が各3機ほど出現しました。
築城基地のF1戦闘機は、通常の森林迷彩塗装を低視認塗装に塗り替えたり、日の丸や部隊マーク・機番等を小さくしたり見えない位置に書き換えたりしていました(@@)。 |
2024年9月29日
1982年03月18日に、当時流行りのバカチョンカメラ(今や死語)で撮影した長崎空港と大村空港の様子です。
こうしてみると、米空軍のナイチンゲールや、海保・海自のYSなど、今では超お宝機がたくさん写っています(@@)。
このころ航空機の世界に目覚めいて、「一眼レフカメラもっていたらなあ。はあ〜!。」とため息が出ます・・・(^^;)v。
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2024年9月30日
1989年8月に、家内と3歳の長男、1歳半の長女それに家内の母と一緒に新田原基地に事前予約を入れて遊びに行きました。
家内の母は二人の孫と一緒の小旅行でとても喜んでくれました。
でもその無理がたたったのか、その後母は寝込んでしまいそのまま亡くなりました。
当時の私は、かなり後悔し自分を責めました。
でも私に孫ができた今、当時の母の満足したであろう気持ちがよくわかります。
今日は母の35回目の命日です。 |
2024年9月30日
F16の「おしっこ」??。
これは1984年1月22日の新田原基地航空祭で撮影した、韓国のクンサン基地 米空軍 8TFW(WP)のF16の「吸気渦」だそうです。
エプロンが濡れているときに、ジェットエンジン吸気口が地上の水蒸気を吸い込む現象とのことです。
この日は、前日の雨でエプロンが濡れており、この現象が見られました。 |
2024年9月30日
先日こちらで話題になった松崎さんの壊れたトムキャットのお話、かわいいにゃんこの仕業ではとても怒れませんね(^^)v。
下は、熊本地震で我が家の棚から墜落したプラモデルです。笑いもでません・・・(TT)。
10年くらい前に、1/100スケールモデル付き月刊雑誌を毎月買って引換券をためて、ようやく手にしたゼロ戦だったのですけど・・・中破しました(><)。 |
2024年9月30日
先日こちらで話題になった松崎さんの壊れたトムキャットのお話、かわいいにゃんこの仕業ではとても怒れませんね(^^)v。
下は、熊本地震で我が家の棚から墜落したプラモデルです。笑いもでません・・・(TT)。
10年くらい前に、1/100スケールモデル付き月刊雑誌を毎月買って引換券をためて、ようやく手にしたゼロ戦だったのですけど・・・中破しました(><)。 |
2024年9月30日
1992年9月に百里基地で撮影した204Sqの1992年戦技競技会参加機(929号機と935号機)の左右の美しいノーズアートです。
あまりのレベルの高さに感動しました(^^)。
(新谷かおるさんも、このアート作成に参加された年もあったとか?。) |
2024年9月30日
Katsutoshi
Shinozakiさんが先にアップされた 「ちばてつやさん」の「紫電改のタカ」、私も大好きでした。
終戦間際に米軍に一矢報いた帝国海軍時代の「松山343空部隊」の活躍をもっと知りたく、当時の各隊長さん達のことを書いた本を買って夢中になって読みました。そして、1/72スケールの紫電改のプラモを買って、各飛行隊長機を作りました。
下は1996年05年24日に、築城基地で撮影した6SQのF1戦闘機です。
これらの機体は、小松基地開催の航空自衛隊の戦技競技会に参加するために、この日築城基地を離陸しました。
機体の垂直尾翼には、帝国海軍時代に活躍した「松山343空部隊」のニックネームを戦意高揚のために書いていました。
01号機は「剣」の文字です。 これは第343海軍航空隊のニックネームです。
02号機は「天誅」の文字です。
これは第343海軍航空隊 407戦闘飛行隊(「紫電改」使用 隊長 林喜重大尉)のニックネームです。
04号機は「維新」の文字です。
これは第343海軍航空隊 701戦闘飛行隊(「紫電改」使用 隊長 鴛淵孝大尉)のニックネームです。
05号機は「奇兵」の文字です。
これは第343海軍航空隊 偵察4飛行隊(「彩雲」使用)のニックネームです。
この日、「343空の復活だあ。」と大喜びしました。
※ちなみに、林喜重大尉の乗った紫電改は、鹿児島県阿久根市脇本の沖合およそ100メートル、水深3メートルの海中に沈んだままとなっており、引き上げ計画があるそうです。 |
2024年9月30日
2004年5月の新田原基地です。
301SQの戦技競技会用シャークF4がRW28エンドにタキシーしてきました。
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2024年9月30日
1998年1月26日に新田原基地で撮影した301SQのF4EJです。
この機体は「改」にならずに、標的曳航機として活躍していました。
背景がちょうど曇り、色白の機体が浮き上がってくれました。 |
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