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2016.05.01

 U P 
  



  2016年4月14日 (木)〜  

    
平成28年熊本地震   まさ の 備忘録





 平成28年4月14日(木)  晴れ                         


  
午後9時26分、わんにゃんとテレビを見ながらくつろいでいると、ドンと突き上げるような大地震が発生しました。

  今まで経験したことの無い大揺れで、家の中は倒れた家財で足の踏み場も無い状況になりました。


            
                               
      今年1月に修理したゼロ戦のプラモデルも再び墜落しました。
                    

       
  
幸い、家族やわんこに怪我はありませんでしたが、にゃんこが家の中で行方不明になりました。

   翌日、倒れた食器棚の隙間から救出しました。隙間に潜り込み、恐怖で体が動かず声も出せない状態でした。




             

                                              
NHKTV を撮影し 引用しました。


   私が居住している熊本市は
震度5強、震源地に近いお隣の益城町は震度7、マグニチュード6.5でした。


            




   今まで震度4くらいの地震しか経験したことがなかった私は、震度5強の地震の恐怖と余震で一晩寝ることができませんでした。



       
                               
気象庁 HPから 引用しました。








 平成28年4月15日(金)  晴れ

   
    我が家やライフラインに影響がなく、御近所の皆さんと「昨夜は怖かったですね。」と無事を確認して、職場に向かいました。

    職場は、高速利用で自宅から1時間の場所にありますが 地震の影響はほとんどありませんでした。



    震源地により近い嘉島町にお住まいの職員の方は、「瓦が半分落下した。」「ブロック塀が倒れた。」と話しておられました。

    今回の改めて地震の凄まじさを知りました。


 
    仕事を終えて自宅に帰り、昨日の地震で散乱した家具類を元に直しました。  








  
平成28年4月16日(土) 晴れ

 
  ◇ 午前1時26分、寝ていると またもや大地震が発生しました。

     かなり大きな横揺れで立ちあがることができず、全ての家具が倒壊しました。

     横揺れが10分ほど続いたように感じました。家もミシミシ悲鳴をあげていて、このままだと家の下敷きになり

     ダメかもしれないと思いました。


     揺れが治まったときを見計らって、 着の身着のままの姿で 母と家内を連れて道路に出ました。

     御近所の方々と身を寄せ合って 恐怖を凌ぎました。



     
  ◇  皆さん方と 車で 近くの学校のグランドに避難し、夜が明けるのを待ちました。(1日目)

             
         
学校は、避難してきた人々で一杯でした。

           (左は テニスコート上にでシートを敷いて避難している方々です。  右は 車中で避難している方々です。)






  
  ◇ 私が居住している熊本市は
震度6強、震源地に近いお隣の益城町と西原村は震度7、マグニチュード7.3でした。

    
電気、水、ガスの全てのライフラインがストップしました。






  ◇ 午前6時ごろ 夜があけはじめたので 一旦自宅に戻り 恐々家の中に入ると 家の中は足の踏み場も無い状況でした。

     家の中はガラスの破片が散乱しているため、土足で歩き回りました。


             
          
停電のために家の中が暗く、 家具が散乱していて どこに何があるのかわかりません。  



     ケージの中の わんにゃんを助け出し、免許証や保険証等必需品と毛布を探し出して 早々に車に戻りました。 
    
     大きな余震が頻繁に起こり、怖くて家の中に入れず、この日から 車中泊が始まりました。 

     特に85歳の母には、この避難生活が相当堪えたようです。





  ◇ 停電のため世間の情報が全く入りません。 車のガソリンも残り少ないため エンジンを掛けられません。


    息子夫婦、娘夫婦と連絡がとれ、安否を確かめることができ安堵しました。携帯電話のありがたさを実感しました。

    でも、携帯電話も電源が切れそうで、頻繁に使うことができません。





    

  ◇ とりあえず、腹ごしらえをしなければなりません。

     近くのコンビニをまわりましたが、どこも閉店や長い行列でとても買えそうにありません。


             
           
ここは、地震のため閉店です。                   ここは、開いていましたが、長い行列です。




  ◇ 午前10時ごろ、避難先の学校で おにぎり1個と水の配給がありましたが、大変長い行列で途中で品切れとなりました。

     次回の配給は未定とのこと。 落胆して車に戻りました。

             
          
数百人の行列です。                           「配給品が切れました。」 に途方にくれました。
 




  ◇ 家にあった お菓子類を探し出し、皆で分かち合って飢えをしのぎました。




  ◇  終日停電のため、地震情報が入らず インフラがいつ復活するのか 不安がつのりました。



    
  ◇ 
午後6時ごろ、電気が復旧しました。 このときのうれしかったこと。

     早速、携帯電話に充電しました。



  
  ◇  TVニュースで 今回の地震で隣町の益城町が大災害にあっていることを知りました。

     自宅から益城町まで 数キロの距離です。

     大震災だったことを、知りました。
 


    
  ◇ 大きな余震が続くので 家の中で寝るのが怖く この日も 自宅前の道路で車中泊しました。(2日目)


     気疲れがあったためでしょう、車の中でもよく寝れました。


    





  平成28年4月17日(日) 晴れ 


  ◇ 午前6時ごろ 昨日の地震状況をTVで見ました。 (TV各局、このニュース報道です。)
 

             
          
私は、九州は地震とは縁が無いものと思い込んでいました。

            「九州には たくさんの断層があり、これからも余震が続くのでは?。」 とTVが言っていました。 
 







  ◇ 午前7時ごろ 食糧調達のために 車で近所のコンビニ巡りをしました。


     いろんな施設が、避難所になっていました。

            
       
 救援を待つ人々の行列です。 みなさん、とても冷静です。日本人の道徳心や公共心の高さですね。






   ◇ コンビニ店はどこも閉店か、開店していても とても長い人の行列ができています。

     数件目のコンビニ店は 並んでいる人が少なく、 ここで開店まで待つことにしました。
 
             
        
車中から見ると ここは並んでいる人が数人でした。   急いでUターンして ここの駐車場に止めました。
   



     しばらく待っていると このお店の系列の配給車が来ました。食品を運んできたとのこと。

     お見せが開店するやいなや、私は冷静さを欠き 人をかき分けて 店内に並べられた食品を買占めました。

     レジをする時に 先の私のあさましい行為が恥ずかしく、 ここを逃げるように後にしました。
  
 








   ◇ 午前8時ごろ 開店しているガソリンスタンドがありました。

     大変な行列でしたが 1時間以上待って 車にガソリンを入れ満タンにしました。

             
          
ガソリンスタンド入り口から、路上に数百メートルの渋滞ができていました。


     これで、ガス欠を心配することなく 車の中で生活ができます。 朝は結構冷えます。 ホッと安堵しました。

     それに明日からの通勤の心配もいりません。
 







   ◇ トイレは 自宅の水洗トイレを使用していますが、水道が復旧していないために汚物を流すことができません。

     困っていると、近くの農家の方が 御近所の皆さんに農作物用の井戸水の利用をお勧めくださいました。

     私たちは、その方のお心遣いに深く感謝しました。


     さっそく 飲み水用に2Lペットボトル数本、水洗トイレ用にバケツ一杯 御水を頂きました。


                

            とても ありがたかった農作物用の水道(井戸水)。







      午前10時ごろ、お隣の嘉島町にある 父と御先祖様を祀った御墓が大丈夫か見に行きました。   

        嘉島町の浮島神社に近づくにつれ、昨夜の地震の被害の大きさが目に着くようになりました。


               

           
いたる所、道路が陥没しています。                   電柱が傾き、道路には大きな亀裂があります。






               

           嘉島町には きれいな湧水で有名な浮島神社があります。     地割れが大きく、今回の地震の大きさがよく分かります。

          地震の影響でしょうか、水が茶色に濁っていました。





               

           傾いたり倒壊している住宅が多数あります。            父や御先祖様の御墓は、基礎だけで墓標が倒れていました。   





      「熊本県の復興はいつになるのだろう?。」 今回の地震の凄まじい惨状を実際に目にして落胆して帰りました。


    ◇  大きな余震が続くので、自宅前の道路に止めた車中で過ごしました。 車のTVが役立ちます。



    ◇  夕方、長男夫婦と長女夫婦が、各地を回って仕入れた食糧を持って来てくれました。

      ともかく皆の無事を喜びあい、それぞれ食糧を分かち合いました。





    ◇  大きな余震が頻繁に続くので、家に入るのが怖く 自宅前の道路で車中泊しました。(3日目)

       御近所の皆さん方も御一緒ですので心強いでした。 「隣組」の大切さが身にしみてわかりました。


        
 



  平成28年4月18日(月) 小雨〜曇り


    ◇  今日から私は仕事です。

       水が出ないために、ペットボトルの水で頭を洗い、濡らしたタオルで体を拭きました。3日ぶりのお風呂です。



       県北にある職場は、幸い大した被害も無く、ライフラインも大丈夫でした。

       職員の方に、被災された方がいらっしゃいました。とても御気の毒です。




朝日新聞デジタル


11万人が避難生活 死者42人に 熊本地震

2016年4月18日00時45分



熊本地震の主な被害








                      



             


 熊本県を中心に相次いでいる地震で、警察は17日、同県南阿蘇村で安否確認のできない人が10人前後いることを明らかにした。家屋が倒壊した現場などでは捜索が行われ、同村では1人が心肺停止状態で見つかり、その後、死亡が確認された。揺れの大きな余震も続いており、県内では約11万人が避難生活を余儀なくされている。17日午後9時50分までに県内で確認された死者は42人、重傷者は201人となった。

 気象庁によると、熊本県内で震度7が観測された14日夜の地震以降、マグニチュード(M)が3・5以上の地震は17日午後1時半までに165回発生した。1995年以降の地震で最多という。

 熊本県によると、地震で全壊した住宅は少なくとも400棟に上り、阿蘇地区に集中。半壊や一部破損などを含む住宅被害は2千棟以上になった。

 余震も続いているため、自宅に帰れない人も多く、同県によると、17日午後2時半現在、小中学校など計723カ所に約11万人が避難。避難者の数は熊本市(人口約74万人)が最も多く、約5万人と県内の避難者の半数近くを占めている。道路の不通などで物流網が乱れ、水や食料が十分には行き渡っていない避難所もある。大分県内では約1千人が避難した。

 熊本県内では、ライフラインの寸断も続き、17日午後3時現在で熊本市や益城(ましき)町、西原村など県内の約27万戸で断水が続いた。うち約18万5千戸を占める熊本市では18日中の完全復旧をめざすという。

 九州電力によると、17日午後11時現在で県内の3万5400戸が停電しているが、被害の大きい阿蘇地区などを除き、18日未明までに復旧する見通しだ。

 都市ガスの西部ガスが供給する熊本市など県内10万5千戸でガスの復旧のめどが立っていないが、LPガスについては、阿蘇市など被害の大きい一部自治体以外はほぼ復旧しているという。

 交通機関の乱れも解消していない。JR九州は一部を除いて18日も熊本県内での在来線の運転を見合わせる。脱線した九州新幹線の運転再開のめどは立っていない。熊本県内と各地を結ぶ高速バスも高速道の不通で運転を見合わせている。熊本空港も空港ビルが壊れて閉鎖している。

 学校関係では18日、校舎の損壊や鉄道などの運転見合わせにより、県内の公立小中高校の約7割にあたる計389校が休校する。



      
朝日新聞デジタル サイト から引用 しました。

   



   ◇   職場までは いつも高速道路を利用していましたが、その高速も不通とのこと。(植木IC〜えびのIC)。

       朝は、混雑を予想していつもより早く出勤したので、遅刻せずに済みましたが、帰りは大渋滞でした。

    
       県北から熊本市までは 自家用車で通常1時間弱ですが、この日は渋滞で帰宅に3時間かかりました。

        (3時間あれば「新田原基地」まで行けます。)

       利用している国道3号線は幹線道路のため、災害復旧物資運搬のトラックで一杯です。

      

       県南の八代市から来た方は、大渋滞のために帰宅に6時間近くかかったとのことです。


       スムーズに3時間の運転と ノロノロ運転の3時間では 疲れ具合が違います。特に帰宅時は睡魔に襲われます。

       私にとって、さらに恐怖の日々が始まりました。  

         
  


    ◇   職場がある県北の大きなスーパーやコンビニは開店しているところがあり、食材もあったと 同僚からお聞きしました。

       勤務終了後に寄ってみると、どこもパンや水のコーナーは売り切れで何もありませんでしたが、お総菜コーナーが

       ありました。これは、常日頃 煮物を食べている母が大喜びしました。


  

    ◇   今日から部屋の片づけを 家内が余震に怯えながら徐々に始めました。

       余震のたびに家がミシミシといいます。築40年の木造住宅が この揺れに耐えることができるかとても心配です。




   ◇   今日 米軍海兵隊のオスプレイが 震災で孤立状態の南阿蘇村に支援物資輸送のために飛来したとのこと。

       不謹慎ですが 私は「このオスプレイを撮りたい。」と思いました。

       でも、南阿蘇村に通ずる全ての道路が損壊して通行できません。ここは、現在 孤立状態でとても大変な状況です。
   




    ◇   大きな余震が頻繁に続くので、自宅前の道路で車中泊しました。(4日目)






    平成28年4月19日(火) 曇り



    ◇   昨夜から水道がちょろちょろと出始めました。 まだ濁っていてとても飲める状態ではありませんが、お風呂に水をため

      て、体拭きや 水洗に使うことができます。 水の ありがたさを 実感しました。

         
        
一晩で、お風呂の3分の1ほど溜まりました。まだ濁っています。




    ◇   昨日 職場から幹線道路使用で通勤時間が3時間かかったために、午後有休をもらい別の通勤路を探してみました。

       カーナビを使用し 幹線を避けていろんな脇道を走行してみました。





   ◇  本日から、阿蘇熊本空港が 復旧するとのこと。 途中、阿蘇熊本空港に寄ってみました。

       もしかすると、オスプレイがいるかも と期待していたのですが・・・・来ていませんでした。

       帰宅後 調べてみると オスプレイは、八代市沖の海自艦艇「ひゅうが」を母艦にしていたようです。 

       
       災害支援のための 他県の応援防災ヘリ や 自衛隊・米軍の物資輸送機 が多数飛来していました。



              







オスプレイ、熊本に物資輸送 
災害支援で初

2016年04月18日18時40分




熊本県南阿蘇村の公園に到着したオスプレイから救援物資を運び出す自衛隊員=18日午後5時23分

 熊本県を中心に相次ぐ地震の被災者支援として、米軍普天間飛行場(沖縄県)所属の新型輸送機MV22オスプレイ2機が18日、熊本県南阿蘇村に水や食料などの救援物資約20トンを輸送した。日本の災害支援にオスプレイが投入されるのは初めて。

 陸上自衛隊は2019年度からオスプレイ17機を順次配備予定。日米両政府には強固な同盟関係をアピール、さらに活動を通じてオスプレイの性能の高さを訴え、日本国内に根強い安全性への懸念を払拭したいとの思惑があるとみられる。

 オスプレイは17日、普天間から岩国基地(山口県)に到着。飛来した4機のうち2機が18日午後3時半ごろから、同基地を離陸し、陸自高遊原分屯地(熊本県)で物資を積み込んだ後、同5時すぎ、南阿蘇村に着陸した。

 オスプレイは19日以降も岩国基地を拠点に熊本県内の物資集積所から被災地に輸送を行うほか、活動中は同県八代市沖に停泊している海自のヘリコプター搭載型護衛艦「ひゅうが」で燃料補給を受ける予定。



              
西日本新聞サイト から引用 しました。

   





  ◇   家内と娘は、地震発生以後 洗濯ができず、御近所の伝手で 県南のコインランドリーで洗濯してきたとのこと。

      御近所のありがたさと 水の大切さを改めて実感しました。




   ◇   大きな余震が頻繁に続くので、車中泊しました。(5日目)







    平成28年4月20日(水) 晴れ 



   ◇   自宅の水道の水量もだいぶ増えました。朝からの水シャワーが冷たくて苦痛になりました。

       ガスの復旧が待ち遠しいです。


       ・・・・ あれほど水がでたことに感謝したのに・・・・わがまま勝手な私です。 

  
         
     
  
   ◇   家内と娘は、 御近所の人伝手で近くの温泉が解放を始めたとのことで、そちらの家族風呂に御世話になりました。

       たくさんの人で、1時間くらい待ったといいいます。

       それでも ありがたかったと感謝していました。

       
         

 

   ◇   職場の直属の上司は、避難所支援のために熊本市内の施設で しばらく勤務することになりました。




   ◇   南阿蘇村の土砂災害で土石流に巻き込まれ 奇跡的に助かった職員の応援に 職場から職員数名が赴きました。

       全てを失いとてもお辛いのでしょうけど、元気な御様子に 職場の職員一同 安堵しました。  




   ◇    昨日検討した別の通勤経路(菊地市・大津町経由)を使用して帰宅しましたが、同じく3時間かかりました。

       翌日、職場の県南方面から通勤している職員さん立ちとお話しすると、結局どの道を利用しても混雑するとの結論

       になりました。

       皆で高速道路の早い復旧を望みました。 




   ◇   大きな余震が頻繁に続くので、今日も自宅前の道路で車中泊しました。(6日目)







   平成28年4月21日(木) 大雨 




      地震発生から、1週間たちました。




   ◇  熊本県内被災地の学校施設や文化財等が かなりの災害を受けていることを 知りました。
  








                                      内閣府 災害対策本部 サイトから引用しました。










                    文部科学省 被害報告 サイトから引用しました。

                                             
 



   ◇  今日も 昨日と同じ通勤経路(菊地市・大津町経由)を使用して帰宅しましたが、同じく3時間かかりました。

     夕暮れ時のノロノロ運転に体力が持ちません。 高速道路が開通するまで 職場の近くに御宿を借りなければ・・・

 
 

   ◇  家内は、水道の水量が少し増え お風呂の溜め水も利用して 自宅の洗濯機で洗濯ができたことを喜んでいました。
 
 


   ◇  大きな余震が頻繁に続くので、車中泊しました。(7日目)






   平成28年4月22日(金) 曇り 後 晴れ


   ◇  職場の上司が 「今、各県から警察官が熊本県に応援に来ており、 国道3号線の信号機のある交差点に立って

      手動で信号機を操作している。一刻も早く救援物資を運ぶためである。回り道しないで国道3号線を使って帰って

      みたら。」と お話くださいました。


      勤務終了後 国道3号線で帰ったところ スムーズに車が流れ 1時間30分で自宅に帰りつきました。

      疲れは全くありません。 全国から支援に来てくださった警察の皆さんに感謝しました。

      後日 上司にも深く感謝申しあげました。




       




   
◇  熊本市内の自宅近くのコンビニに寄ると 食品棚は震災前の状況に戻っていました。

      皆さんも、大量の食材をみると心理的に安心するのでしょう。 もう食糧集めに血眼にならずに済みます。
  

                 
                                                                
店員さんの許可を得て 撮影しました。
              




   
   家内と娘は、家内の友人宅のお風呂に御世話になったとのこと。 ガスの復旧が待ち遠しいです。 





   
◇  大きな余震が頻繁に続くので、今日も車中泊しました。(8日目)

      エコノミー症候群で多くの方が入院したとのニュースが流れています。 そろそろ 自宅で寝なければ・・・。

      でも、まだ余震がおさまりません。


       
      




  平成28年4月23日(土) 曇り




    ◇  車中泊をそろそろ辞めて自宅で寝る為に 本格的に家のかたずけを行いました。

       築40年の木造モルタルの家です。余震のたびに ミシミシと家が泣きます。 

         
         
家内のグランドピアノが 横揺れで 4センチくらい動いていました。一人で手押ししても動くものではありません。
         
300キロもあるピアノがこれだけ動くのです。今回の地震エネルギーの凄まじさを実感しました。   
    



                 
        
自宅周りのモルタルには、このような小さなヒビが いたる所ににあります。
          後日、建築士さんに伺うと 

         「この小さなヒビは、先日の大地震のエネルギーを吸収して 家を保護するために生じたもので倒壊の心配はいらない。
          上から塗装をすればよい。」 と教えてくださいました。 木造住宅に込められた先人の智恵に感心しました。  





その後、建築士さんに 室内を見ていただいたところ、 
大黒柱に大きな亀裂が入っているとのことで、 「
半壊」 

となりました(><)。 

        


  この先、どうしましょう。  先立つものが・・・(TT)。


                          H28.05.09 
 





      







      
            
    ◇  台所のガラスや陶器の破片等の危険物を取り除き、居間のタンス等倒れた家具を元の位置に戻し、一息つきました。






 
   ◇   今回の地震の被害状況を見に出かけました。 

      

    
 ○ 近くの水前寺公園

             
         
公園入り口の鳥居が崩壊しています。                  水前寺公園の池の水が枯れて 湖底が見えています。

           皆さん 驚いてみていらっしゃいます。    




      
○ お隣の益城町 西原村(震度7)

               


                


                 

            益城町・西原村全体が崩壊しています。 自宅から たった数キロ離れた場所です。 災害がこんなにひどかったとは。

           居ても立ってもいられなくなり 「私が今できることは何だろうか。」 真剣に考え込んでしまいました。




               

            
他県からの支援活動 や 自衛隊の災害派遣活動を見ると 救われた気持ちになります。



       
 
       益城町、西原村、南阿蘇村など 被害がひどかった地域の復興は いつになるのだろう。

       好奇心から 災害状況を見に行った自分が恥ずかしくなりました。 
 
       かなり落ち込んで帰りました。






   ◇  今日から 自宅で寝ました。 大きな余震のたびに飛び起きました。
 






  平成28年4月24日(日) 曇り



    ◇  熊本県の被災地の復旧が一刻も早く進みますように。



       
がんばれ熊本!。 がんばれ九州!。
        
 




                    熊本県災害対策本部 サイトから引用しました。 

 

 
 
 
 
 
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