番外編

まさ's
DAILY PHOTO GALLERY



2005年11月下旬

古代人の足跡 見学


熊本県玉名市 両迫間遺跡にて

 

 

         

 2005年11月下旬に熊本県玉名地方に出張の機会がありました。

 私は、早速、先日報道された「古代人の足跡」見物に行きました。


         
毎日新聞 2005年11月12日  から 転用しました。

    両迫間日渡遺跡:県内初、弥生時代の水田跡発掘 

 ◇畔や足跡も確認

 熊本県教委は11日、玉名市両迫間の「両迫間日渡(りょうはざまひわたし)遺跡」内で、県内初の弥生時代後期(約1800年前)の水田跡が見つかったと発表した。両側に木製のくいを打ち込んだ畦(あぜ)も確認され、県教委は「当時の技術の高さが分かる貴重な発見」としている。

 これまで、県内で最古の水田跡は大江遺跡(熊本市)の平安時代後期のものだった。今回、確認されたのは、300平方メートル程度の水田、水田外側の大畦(幅約1メートル、長さ約11メートル)、水田内を区画する小畦(幅3〜40センチ、長さ5〜6メートル)の跡。足跡約50個も見つかった。

 大畦は地盤を固定するため両側をくいで補強している。くいを伴う畦は九州では福岡市などで数例みられる程度という。

    

   学芸員の Tさん と Fさん が懇切丁寧に解説してくださいました。  
 

     
遺跡発掘現場。  木の橋は、見学用通路です。              


        




水田内を区画する畦(あぜ)道。                       




田んぼの畦道(あぜ道)に敷き詰められた木ぎれです。

あぜ道の
地盤を固定するために敷いてあるそうです。






印の 木ぎれは、鍬等の廃棄され不要になった 道具です。

木ぎれには、いろんなものが使われたようです。






古代人の足跡                               





砂の表土を丁寧に剥いでいくと、粘度層がでてきたそうです。

粘度層から多数の 足跡が出ました。

今から 1800年も昔の 私達の祖先の足跡です。私は感動してしまいました。


上左 の白い部分が 足跡 です。



白縁内には 
ちょうど 石膏の型どり みたいに 砂 が埋まってます。

その砂を取り除いたのが 上右 の 足跡 です。

(約20cm 土踏まず がはっきりしています。古代人、結構歩いたのでしょうね。)





古代の人々が、田植えをし終わった直後に、洪水等が発生し 田んぼが砂で埋まった

のでは・・・・・・・・・・       たくさんの 説があるそうです。




当時の人々、せっかく植えた田んぼを失い、きっと 愕然としたことでしょうね。

1800年も 昔の人々の悲しい気持ちが ひしひしと この遺跡から伝わってきます。


いろんな想像を めぐらすことのできる この世界、 とっても楽しいですね。








前の章でも申しましたが、学芸員の方のお話は、森羅万象にわたります。

私達 祖先の知恵の豊かさがほんとによく伝わってきます。


どうど、この祖先の知恵が、後生に伝わりますように。


(学芸員さんは、ほんとによく勉強していらしゃいます。)



左が F学芸員さん   右が T学芸員さんです。


お忙しい中、ご説明とご案内 ありがとうございました。









玉名地方には、ほんとにたくさんの遺跡があります。

出張の空き時間を 利用して 横穴古墳群に 寄ってみました。

   石貫(いしぬき)ナギノ横穴古墳群

             − 熊本県 玉名市に残る古墳時代初期横穴墳墓 −      



 横穴は古墳時代以降の墓制の一つだそうです。横穴古墳は、5世紀頃北部九州に発生し、

やがて九州中部へ移動し、6世紀頃に近畿地方へ伝播してい ったそうです。


   




       

  ・ 岩をきれいにくり抜いて 石室を作ってあります。全部で48室あるそうです。

石室内も きれいに造ってあります。当時の人々の技術の高さに感心しました。




・・・・・・・楽しい出張でした(^^)。。

出張内容 も きちんとすませましたよ。(^^;)


  親切にご案内くださった T学芸員さん、 F学芸員さん
     感動をありがとうございました。








BACK HOME TOP

 

 

このホームページに関するご意見は 「まさ」までどうぞ

このページ並びにこのページに掲載している画像の著作権は、「まさ」が有しています。無断での複製、転載等著作権を侵害する行為は固くお断りします。
Copyright(C)2001 Masa.